「信用の精神」を築いた先駆者
幕府の重鎮であり上総一宮藩最後の藩主。1902年に東京・大森山王にある自邸を事務所にして、イギリスの協同組合を手本とした都内最古の信用組合である「入新井信用組合」(現在の城南信用金庫)を設立。その後、産業組合運動の全国普及や啓蒙に尽力するなど、「産業組合の育ての親」と称されています。
地域金融の未来を拓いたリーダー
城南信用金庫第3代理事長。東京都大崎の農家出身で、大正7年に起こった米騒動で苦しむ人々を見て、貧富の格差をなくし安定した社会を築き上げたいとの思いから大崎信用組合の創設時に入職。その後、大崎信用組合をはじめとする15の信用組合が合併し、城南信用組合が設立され、現在の城南信用金庫の基盤ができました。
KANO HISAYOSHI
KANO HISAYOSHI
産業組合運動の全国普及や啓蒙に尽力した加納子爵でしたが、1919年(大正8年)に惜しまれながら亡くなります。その時に「一にも公益事業、二にも公益事業、ただ公益事業に尽くせ」という言葉を残しました。国のため、地域のため、民衆のために一生を尽くした加納子爵は、信用金庫は地域社会の発展に奉仕するという公共的な使命を持っていることを後世に示しました。