「スーパードリーム」取扱い開始の経緯

批判を乗り越え、夢のある商品「スーパードリーム」を提供

スーパードリーム

懸賞金付き定期預金とは、預金金利の他に、抽せんで懸賞金が支払われるもので、今では多くの金融機関が取扱っています。この定期預金を日本で初めて世に送り出したのは城南信用金庫でした。開発に着手したのは1989年。当時、預金金利の自由化はまだ始まったばかりで、大蔵省(現・財務省)は時期尚早との判断であったため、その時点での取扱いは断念せざるを得ませんでした。
そして、1994年、預金金利が完全自由化されたのを受けて、満を持して懸賞金付き定期預金「スーパードリーム」の取扱いを開始したのです。

当日の新聞やテレビでこのニュースが伝えられると、城南信用金庫の窓口にはお客様が殺到し、長い行列を作り、一日で100億円近い預金が預けられました。
それまでの金融機関の商品は、金利も商品内容も他と横並びでした。利用者のニーズに合った商品を開発しようという、顧客本位の発想がなかったのです。
事実、「スーパードリーム」は、その年の「日経優秀製品・サービス賞」の「最優秀賞」をはじめ、「企業広報賞優秀賞」(経済広報センター)、「ソフト化大賞」(ソフト化経済センター)などの数々の賞に輝き、歴史にその名を刻んだのです。
「スーパードリーム」の人気は今も高まる一方で、2003年7月には、民間金融機関の預金単品商品としては初めて、預入残高が1兆円の大台を突破し、 2011年3月末現在、1兆9,406億円を超えています。金融史上最大のヒット商品といっても過言ではありません。同時に、「スーパードリーム」は、城南信用金庫の名前を全国に轟かせ、メジャーな金融機関に押し上げる立役者となったのです。
「スーパードリーム」の登場によって、大蔵省(現在の財務省)が圧倒的な力を誇っていた日本の金融行政のあり方自体を城南信用金庫という一民間金融機関が変えてしまった、と言うと驚かれる方も多いかもしれません。しかしながら、紛れもない事実なのです。
「スーパードリーム」が世に出た当時は、金融機関の新商品取扱いには大蔵省への届出が必要でした。しかも、その際には、事前に大蔵省に相談して、内諾を貰っておくのが慣行だったのです。そこで、城南信用金庫では、「スーパードリーム」の商品案を大蔵省に説明しました。すると、大蔵省は「単独で行う懸賞を禁じた業界の自主ルールを知っているか」などといって、取扱いに難色を示したのです。
少し説明が必要かもしれません。ここでいう「自主ルール」とは、たとえば「コスト削減のために粗品は1つ500円以内にしよう」ということを金融業界が仲間うちで申し合わせて決めたものです。要は「お客様にあまりサービスしないようにしよう」という、金融機関本位の勝手な、いわば「談合」です。金融自由化時代になっても、まだこうした古い考え方が残っていたのです。この「自主ルール」は、「スーパードリーム」の発売をきっかけとして、公正取引委員会が、城南の主張を支持し、独占禁止法に抵触するということで是正指導に乗り出し、すぐに破棄されました。話を戻します。
「スーパードリーム」取扱開始直前の1994年10月1日から「行政手続法」という法律が施行され、事前の打診がなくても自由に届出ができることになりました。時代が城南信用金庫を後押ししたのです。そこで、城南信用金庫は、大蔵省に正式に届出を行い、翌11月7日から取扱いを開始しました。
すると、大蔵省は、「懸賞金付き定期預金の取扱いには問題がある」とのコメントを発表し、商品の取扱いを止めさせようと、さまざまな牽制球を投げてきました。

スーパードリーム

これに対して、マスコミは「大蔵省が民間金融機関の創意工夫を妨害しようとしている」として、大蔵省の姿勢を批判する社説などを一斉に掲載しました。また、当時の三重野日本銀行総裁や、加藤政府税制調査会会長、小粥公正取引委員会委員長など、各界の有識者の方々が、「スーパードリーム」を評価するコメントを次々と発表しました。そして、城南信用金庫にとって何よりも強い味方となったのは、預金者の方々の圧倒的な支持でした。

結局、「スーパードリーム」は、大蔵省が発足させた「預金を考える懇談会」の答申の中で、逆に、大蔵省の主張をしりぞけ、「金融機関の競争を促進する効果が認められる」ということで晴れて認知されました。
さらに、この答申をきっかけとして、商品の「届出」という制度自体が廃止され、今では、各金融機関が自由に商品を開発し、取扱うことができるようになったのです。

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